Behind the Sense 茅原拓朗 x wowlab

無意識の領域は非常に広大

茅原
音からちょっと離れますが、人間の記憶には処理のために一時的に情報を保持しておく、コンピュータで言うところのメモリに相当するものがあります。「作動記憶」と呼ばれるこの記憶の容量は、全く規則性のない数字を覚えられる桁数で測定すると、だいたい7つ分ぐらいしかないんです。市外局番抜きの電話番号を覚えて電話をかけるくらいがせいぜい、ということですね。

wowlab
意外と少ないですね・・。

茅原
実はこれは私たちの「意識」の容量ともみなせるんです。意識的に操作できるのは高々7つだけということです。一方、心臓を動かしたり、呼吸をしたり、手や足を動かす軌道計算をしたり、生きていくためにしなければならない処理は無数にあって、とても7つじゃまかなえませんから、そのことから逆に、脳の情報処理のほとんどは無意識的なものであることが推測できます。知覚にしたって、グラデーションから物体形状を計算したり、ノイズの背後に音を補間したりする過程は全然意識できないでしょう?ですから、単に「見る」ということについても無意識の領域は非常に広大なものだと思います。

wowlab
ということは人生の中でも意識しているというのは、とても少ないという事ですね。

 

茅原
少ないと思いますよ。それに先ほども話しましたが、脳は常にサボろうとしますから、ちょっと習熟すると無意識処理にまわそうとするんです。例えば、車の運転も慣れると助手席の人とおしゃべりできるようになるでしょう?あれは、運転を無意識化することで意識リソースをおしゃべりのために解放できるからなんですね。スキルの習得というのは、無意識化・自動化していくプロセスでもあるんだと思います。

ただ自動化が進むと、意識的なコントロールが出来なくなってくる。ある種の怠惰さというか凡庸さの中に追いやられてしまうんですね。一番最初の話に戻ってしまうのですが、「見る」という行為についてもまさにそうです。見ることを支える処理は完全に無意識化・自動化されているから、その素晴らしさに気付けなくなっている。

でも、「見える」というのは、それだけで感動的な事なんです。知覚心理学はそうしたことに気付かせてくれる学問なんだし、そのことを表現していくのが社会的な役割なんじゃないか、と私は考えています。

wowlab
人間が人間たりえる事の素晴らしさを、科学的なアプローチであらわにする学問なのかもしれませんね。話は尽きないのですが、どうやら時間が来てしまったようです。今日は興味深いお話をありがとうございました。また引き続き情報交換が出来ればと思います。

茅原
こちらこそ、ありがとうございました。

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